第2次世界大戦後の北方領土問題の動き

 第2次世界大戦後、日本と連合国との間に平和を回復することを目的として、昭和26年(1951)、サンフランシスコ講和会議が開かれました。
 この会議では参加52カ国のうち、49カ国が「対日平和条約」(サンフランシスコ平和条約)に調印しました。この時の会議で調印しなかったのは3カ国。その中にはソ連が含まれていました。
 この条約の中には以下の内容も含まれていました。
※第2条(領土権の放棄)(C)日本国は、千島列島並びに日本国が1905年9月5日のポーツマス条約の結果として主権を獲得した樺太の一部及びこれに近接する諸島に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄する。
■サンフランシスコ平和条約と領土条項~昭和26年・1951年
戦争に負けた日本は、戦後はじめての国際舞台への復帰を目的として、サンフランシスコ講和会議に出席しました。