島民の不安感-そして脱出へ

 ソ連の占領と武装解除の状況は、当時の村長や島の有志から続々と根室支庁などに報告されています。
 しかし、これに対する具体的な対策や、あるいは具体的に各島の村長などに指示した記録はほとんど見当たりません。
 資料としては、根室支庁保管の『ソ連軍進駐状況綴り』(根室市資料)がありますが、この中から国後島に関するものを抜粋してみますと、国後島留夜別村長から9月9日に、「引き揚げ可能な婦女子は万全な策をもって引き揚げせしめよ。この航海可能となりたる際は通知あれ。」と航海の可能通知を要望している記述を見ることができます。
 これに対する回答は記録に残されていませんが、唯一の記録としてあるものは、9月7日の国後出張所長からの電話連絡に対し、「引き揚げ可能な婦女子は、航行に遺憾なきを期し、支庁管下各市町村手配済みにつき、何処にでも上陸せしめよ。」と、婦女子らの脱出について、根室沿岸町村に連絡してあるから、どこにでも上陸させてよいと回答しているものだけでした。