ソ連軍政下の北方領土

 ソ連軍は択捉島、国後島、色丹島、歯舞群島を次々に占領し、駐屯していた日本軍の武装解除を行い、ソ連軍の名において解散を命じました。
 樺太(サハリン)、千島は当初一括して樺太占領の作戦軍である占領軍司令部のもとに置かれ、軍政が施行されました。この占領軍事司令部の指揮の下に、占領行政が行われました。
北方四島在住の島民はすべてこの軍政下に置かれ、自由を奪われて、過酷な生活を余儀なくされていきます。
 軍政は昭和21年(1946)2月頃まで行われ、その後、民政に移管されていきました。
 村役場は少しの間、事務を継続していましたが、郵便局は完全に閉鎖され、学校も一時閉鎖されてしまいました。
 ソ連軍は、一般住民に対して身分証明書を交付することとし、この証明書なしでは通行できなくなりました。また、身分証明書は、全てロシア語で印刷されていました。
 ソ連政府は択捉島、国後島、色丹島、歯舞群島を占領して間もない、昭和20年(1945)9月20日から、千島全島をロシア共和国のハブフスク地方に編入することを決定し、この千島地域を幌筵島地区、択捉島地区、国後島地区の3つに分け、地名をロシア語に変更し、幌筵島をパラムゥシール、択捉島をイトループ、国後島をクナシールとしました。
 その後、昭和22年(1947)、千島は南樺太とともにサハリン州に編入され、ハバロフスク地方から分離して現在に至っています。
ソ連編入