学校教育の充実への苦心
明治13年(1880)にスタートを切った学校教育は、教育の関心が高まるにつれ、各島に次々と学校が作られていきましたが、学校運営費の捻出や教員の確保が大きな悩みになっていたといいます。
国後島では貸付用の官馬を「学校馬」として借り受け、この馬を駅逓などに貸して、その収益を学校運営費に充てたり、学校主催で海産物の品評会を開いて売上金を維持費に充てたりしたこともあったといいます。
また、択捉島では、缶詰工場からの援助や、捕鯨会社からの支援を受け、校舎の増改築費などを捻出していたといいます。
一方、教師の確保も大きな問題で、待遇の改善や特別手当の支給をしたり、教員養成のために特別講習制度を設けるなど、教員の確保に腐心していたといいます。
また、教員になるために養成講習を受ける者に対し、村費で援助していた例もあったそうです。
国後島では貸付用の官馬を「学校馬」として借り受け、この馬を駅逓などに貸して、その収益を学校運営費に充てたり、学校主催で海産物の品評会を開いて売上金を維持費に充てたりしたこともあったといいます。
また、択捉島では、缶詰工場からの援助や、捕鯨会社からの支援を受け、校舎の増改築費などを捻出していたといいます。
一方、教師の確保も大きな問題で、待遇の改善や特別手当の支給をしたり、教員養成のために特別講習制度を設けるなど、教員の確保に腐心していたといいます。
また、教員になるために養成講習を受ける者に対し、村費で援助していた例もあったそうです。
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