高田屋嘉兵衛の活躍

 近藤重蔵らによる北方領土調査を経て、幕府は択捉島などに役人を常駐させました。そして享和元年(1801)には、南部・津軽両藩の兵隊100人前後を守備にあたらせました。
 その一方で北方領土への開拓は積極的に行われていましたが、中でも大変だったのは国後島や他の島々へと航路を開いていくことでした。
 この問題を解決したのが、近藤重蔵に雇われて調査・探検に同行した高田屋嘉兵衛という人物です。
 高田屋嘉兵衛は、蝦夷地の開発に貢献した海運業者で、もともと四国・淡路島の出身です。嘉兵衛は、北方領土で潮流や魚場の調査、島内開墾を行って幕府と密接な関わりを持つようになります。
 そして、不屈の精神を持って北方四島の航路開発にあたり、見事に仕事をこなしていきました。
 この間に幕府は、色丹島に船の避難港を設けたり、野付半島~国後島間の航路開発や、国後島内の道路開発事業を進めました。
 北方領土での人びとの往来や物資の流通が盛んになってきたのもこの頃です。
高田屋嘉兵衛