北方領土問題について

 1941年、日本はアメリカ、中国、イギリスなどを相手に戦争を始めました。そして日本は1945年8月15日「ポツダム宣言」を受け入れて、無条件降伏しました。
 その8月15日から3日後の8月18日になって、当時ソ連と結んでいた有効な条約「日ソ中立条約」をソ連が一方的に破り、クリル諸島北端の占守島に上陸を始め、自衛のため応戦した日本軍と激戦が交わされました。
 しかし、日本軍は北部方面司令官の命令で、23日に局地停戦協定を結び降伏しました。
 その後ソ連軍は千島列島沿いに南下を始め日本軍の武装解除をして、得撫島まできましたが、択捉島には上陸せず、いったん北に引き返しました。
 しかし、アメリカ軍が択捉島や国後島等に進駐していないことを知ったソ連軍は再び南下を始めました。
 この一件は、当初ソ連軍も北方四島は日本の領土であるとの認識だったことを物語っています。
 択捉島や国後島に上陸したソ連軍は、「アメリカ軍は来ているか?」と、住んでいた日本人に対して念を押しながらの上陸だったということでした。
 ソ連軍は8月28日に択捉島、9月1日に国後島、色丹島に上陸し、9月3日には歯舞群島にまで及び、ことごとく占領しました。
 このため島で生活していた人々の中には、危険を冒して着の身着のままで脱出した人もいます。住み慣れた土地を離れられず島にとどまった人々も、1947年にはソ連軍によって強制的に日本へ送還されました。
 このように日本固有の領土である北方四島は日本が無条件降伏した3日後から、ソ連によって不法に占拠されたままになっています。
北方領土問題