明治時代に結ばれた2つの条約

 内政に重点をおかなければならなかった明治政府は、樺太におけるロシアの南下勢力に十分対抗することができませんでした。
 しかしながら、樺太の領有を曖昧にしておくことはできないと、特命全権公使として榎本武揚をモスクワにおくり、明治8年(1875)「樺太・千島交換条約」を結びました。
 「樺太・千島交換条約」とは、日本は樺太の権利一切を放棄するかわりに、それまでロシア領であった千島列島、すなわちウルップ島以北の18島を領有するという内容でした。
 つまり、この条約により、千島列島全域は日本の領土となったのです。
 こうして、平和な話し合いにより、日本が北方四島と千島列島全域を領有することが確定しましたが、失ったものも大きなものでした。
 なぜならば、樺太とウルップ島以北の千島列島とは、面積、資源ともに、比較にならないほど樺太の方が有利であったからです。
樺太千島交換条約