小泉・プーチン会談(2001年7月21日~2002年6月27日)

 2001年4月に就任した小泉総理は、7月21日ジェノバ・サミットの際に初めてプーチン大統領と会談。
10月21日上海APECの際の会談では、交渉の具体的な進め方について外交当局間で更に詰めていくことを合意しました。
 2002年6月27日、カナダ カナナスキス・サミットで小泉総理の12月または1月のロシア訪問が合意されました。
 ※上海APEC首脳会談では、双方が歯舞・色丹の議論と国後・択捉の議論を、同時かつ並行的に進めていくことで一致したと各紙が報じました。
 この方式ではロシア側の意図する「2島で決着」の可能性が大きいと、千島連盟はじめ運動関係者から疑問や抗議の声が上がりました。
 年が明け1月頃から一連の疑惑騒動が持ち上がり、3月の次官級協議でロシア側よりこの方式は都合が悪いとの立場が表明されました。
 日本政府は1度も四島返還の方針を変更したことはないと言明しています。
 ※2000年12月、ロシアは韓国漁船に、北方四島周辺200海里水域を含む水域でのサンマ漁獲割当を行ない、その後北朝鮮およびウクライナ(台湾)の漁船にも、操業を認めたことが判明しました。
 日本はロシアはじめ、各関係方面に申し入れを行い、翌年8月に小泉総理よりプーチン大統領に、誠意ある対応を求める親書を出しました。
 プーチン大統領は、政治問題化させたくないと述べ、当該水域での第3国漁船の操業は行なわれないことになりました。