幕府による北方領土の本格統治

 江戸幕府は、寛政11年(1799)に北方領土を直接統治することにしました。このために江戸幕府は、近藤重蔵をその任務にあたらせました。
 そして近藤は、海の豪商といわれた商人の高田屋嘉兵衛を伴って北方領土にむかいました。近藤はその前年の寛政10年(1798)に、最上徳内を案内役にして国後島から択捉島にかけて調査を行っていました。その際に、タンネモイという場所に「大日本恵登呂府」と書いた標柱を建てて帰りました。
 その後寛政12年(1800)、高田屋嘉兵衛が苦労して航路を開拓し、再び択捉島へ渡りました。
 そして、カムイワッカオイの丘に近藤が建てたのと同じように「大日本恵登呂府」と書いた標柱を建てて、ここの土地が日本の領土であることを改めて明らかにしました。
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