日本地図に示された北方領土
北方領土や千島列島が描かれている地図としてもっとも古いものに、正保元年(1644)、松前藩主が幕府に献上した、「正保御国絵図」があります。
この地図の中には、知床半島や納沙布岬の東の方に、大小39の島々が描かれていて「くるみせ」と名づけられています。
このうち34の島には、現在の北方領土とほぼ同じ名前の「くなしり」「えとろほ」「うるふ」などの島名がつけられているのです。
一方、ロシア側の地図で、北方領土が描かれている古いものとしてあげられるのが、ロシアのスパンベルグたちが、千島列島にそって北方領土一帯の探検を行い、それに基づいて、元文4年(1739)に作成したという地図です。
この地図の中には、知床半島や納沙布岬の東の方に、大小39の島々が描かれていて「くるみせ」と名づけられています。
このうち34の島には、現在の北方領土とほぼ同じ名前の「くなしり」「えとろほ」「うるふ」などの島名がつけられているのです。
一方、ロシア側の地図で、北方領土が描かれている古いものとしてあげられるのが、ロシアのスパンベルグたちが、千島列島にそって北方領土一帯の探検を行い、それに基づいて、元文4年(1739)に作成したという地図です。
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