旧浜中町営軌道東円線(簡易軌道茶内支線)上風蓮(開南)停留所
別海町歴史文化遺産 第17号

- 認定区分 史跡
- かな名称 きゅうはまなかちょうえいきどうひがしえんせん(かんいきどうちゃないしせん)かみふうれん(かいなん)ていりゅうじょ
- 認定年月日 令和4年12月26日
- 所在地 別海町上風連251番49
旧浜中町営軌道東円線(簡易軌道茶内支線)上風蓮(開南)停留所(以下「旧開南停留所」)は、1965(昭和40)年に浜中町営軌道東円線が延伸した際、現在の上風連開南地区に設置された停留所です。
浜中町営軌道は昭和初期に開通した馬力の殖民軌道茶内線・円朱別線を1957(昭和32)年以降順次動力化した簡易軌道で、1962(昭和37)年には茶内支線(通称「東円線」)秩父内―東円朱別が動力化され、1965(昭和40)年には同線東円朱別―上風蓮(開南)間が町村境を越えて延伸されました。
別海町で最も南に位置する開南は、その地理的状況から浜中町との関わりが深く、戦前から生乳の一部は浜中村の集乳所に運ばれていました。このため、浜中町営であったにもかかわらず軌道が町外の別海村にまで延伸したのですが、その実現には浜中町農協組合長で道議会議員も務めた二瓶栄吾氏や、開南の中心人物であった瀬下健二郎氏の尽力がありました。
この延伸により、簡易軌道は生乳の運搬や開南の人たちの日常の足として利用され、住民の生活向上に大きく貢献しました。しかし他町村の簡易軌道と同様、道路整備の進展と補助金制度廃止により、開通からわずか6年後の1971(昭和46)年には東円線日向前―上風蓮(開南)間の運行が休止され、1972(昭和47)年には浜中町営軌道全線が正式に廃止されました。
旧開南停留所には、待合室とトイレの基礎部や転車台の一部が残り、転車台は地元開南の方々や有志の手によって発掘されています。
浜中町営軌道は昭和初期に開通した馬力の殖民軌道茶内線・円朱別線を1957(昭和32)年以降順次動力化した簡易軌道で、1962(昭和37)年には茶内支線(通称「東円線」)秩父内―東円朱別が動力化され、1965(昭和40)年には同線東円朱別―上風蓮(開南)間が町村境を越えて延伸されました。
別海町で最も南に位置する開南は、その地理的状況から浜中町との関わりが深く、戦前から生乳の一部は浜中村の集乳所に運ばれていました。このため、浜中町営であったにもかかわらず軌道が町外の別海村にまで延伸したのですが、その実現には浜中町農協組合長で道議会議員も務めた二瓶栄吾氏や、開南の中心人物であった瀬下健二郎氏の尽力がありました。
この延伸により、簡易軌道は生乳の運搬や開南の人たちの日常の足として利用され、住民の生活向上に大きく貢献しました。しかし他町村の簡易軌道と同様、道路整備の進展と補助金制度廃止により、開通からわずか6年後の1971(昭和46)年には東円線日向前―上風蓮(開南)間の運行が休止され、1972(昭和47)年には浜中町営軌道全線が正式に廃止されました。
旧開南停留所には、待合室とトイレの基礎部や転車台の一部が残り、転車台は地元開南の方々や有志の手によって発掘されています。
- 旧開南停留所について(PDF形式:3MB)
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