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沿革史
主 要 事 項
昭和24 11 1 別海村立拓進小学校として開校する。
昭和24 12 1 太田清氏が学校長として発令、12月初旬着任。住宅未完成のため、西春別旧市街より通勤。児童数は12名とのことであった。
昭和25 3 第1回卒業式。卒業生は2名とのこと。
昭和25 4 1 入学式。この頃より在籍数は増加し始めた。本日より長尾先生が着任したらしいが、勤務期間は明らかでない。
昭和26 4 1 入学式。新富分校が本校の分校として認可される。
昭和26 6 25 太田校長4月1日付をもって学芸大学釧路分校へ転勤。
昭和26 6 25 6月10日をもって新井晃校長が着任する。
昭和26 8 15 第1回運動会を行う。
昭和26 9 1 第2学期始まる。古内先生着任。
昭和26 11 1 開校2周年記念行事として落葉樹を校庭に植え記念撮影(7日に都合により延期して)をした。
昭和27 2 20 新富分校新校舎に移転完了
昭和27 4 14 新富分校昭和27年4月1日より小学校に昇格した。
昭和27 4 17 昭和26年度にて物置工事が許可され、都合により実際竣工は昭和27年4月17日である。
昭和27 5 6 PTA全員にて桜樹を各戸1本宛を植えることにし、本日第1回植樹。吉田孝氏・丹治氏・福岡氏・三好氏その他にて14本学校林へ植樹(校舎周辺)
昭和27 5 9 昭和27年4月1日より2学級編成の許可通知を受ける。
昭和27 8 1 定員増加のため、下山先生着任する。
昭和27 8 15 学級増加のため、請負者竹内組にて基礎工事着手。
昭和27 10 13 増築校舎完成する。
昭和27 11 1 開校記念日を兼ねて校舎増築落成祝賀会を催す。同日記念撮影をする。なお落成祝賀会を10月降雹(ピンポン玉大)のため被害が甚しかったので内輪に催した。
昭和28 2 16 古内先生、中標津町立俣落小学校へ転任発令される。
昭和28 4 1 4月1日付で乾先生着任する。
昭和28 5 15 丹治秋吉氏、斉藤午治氏より桜樹の寄贈があった。学校正門の向い左側(とっつき)の各1本ずつである。
昭和28 6 15 拓進青年会より正門柱の寄贈あり。このため学校らしさが加わった。当時の青年会長は布施辰夫氏である。
昭和28 6 22 PTAより国旗掲揚塔の寄贈あり。効果的に働いてくれた人は斉藤勝英氏である。午後5時頃初めて国旗掲揚した時は、全員感激の涙に頰を濡らした。
昭和28 6 24 校庭に、ブランコ1基PTAの労作にて建設した。金具の寄贈は旧市街佐藤鉄工所であった。斉藤午治・中野雄作・山田清吉・斉藤勝英の各氏は、建設に終日出てくれた。
昭和28 8 12 教員住宅1棟(9坪)建築される。
昭和28 11 16 字内広治氏より柱時計を1個寄贈される。
昭和29 4 1 昭和29年度入学式を行う。就学者は14名であったが、3名は通学距離の関係から旧市街に就学し、実際には11名が入学した。
昭和29 10 4月頃より天気予報は凶作を予告していた。6月の初旬にも降霜あり、南瓜等相当の被害があった。寒冷にして諸作物も発育は意外に悪く愈々凶作来と思われたが、収穫期の10月に入るや予想は現実として現われた。校下通学児童の戸数40戸、3割収穫の家庭は18戸、5割は28戸、10月12日付文書をもって、学校給食の必要を教育委員会に申請した。
昭和29 10 根室管内視聴覚教育の一部として、巡回映画を6月より始め、今月27日をもって第4回好結果のうちに終了した。
昭和29 10 学校へき地教育として託児所を昨年より本校において開始した。季節託児所であるので、
6月、9月~10月の春秋2季制である。経費は、根室支庁からの助成金及び村よりの助成金である。
昭和29 11 播種期より冷害凶作型天候を予報されていたが、現実にそれが示された。零照零雨の連続のため収穫期を迎えるにあたり、3分作、5分作の最悪の凶作年となった。試練の年であるこの年は、単に児童家庭のみでなく、学校教育も直接的である。無料給食、生活保護法の適用、PTA会費に対する対策等万全策に対処した。
昭和30 1 31 婦人会より鏡、弁当箱の寄贈を受けた。
昭和30 3 23 第6回卒業式を行う。
昭和30 4 1 昭和30年度始業式並びに入学式を行う。
昭和30 5 27 学校植林。3,000本を児童にて行った。
昭和30 7 20 北海道新聞社より、へき地学校として図書50冊の寄贈を受けた。
昭和30 8 15 学校図書法により、図書275冊割当てになる。
昭和30 12 11 へき地学校集会室(本屋20.25坪、玄関1.50坪)が本校に決定。地杭打作業を拓進青年会員にて行う。
昭和31 3 8 本年に入り初めての猛吹雪。当日、拓進婦人会長鈴木スセ殿は、旧市街へ公用のため行かれ帰途、遭難殉職する。
昭和31 3 22 卒業式を行う。新入生の記念撮影を繰上げて行う。当日は、本年第2次の猛吹雪のため僅かに5名より来校せず。
昭和31 3 23 へき地集会室の上棟式を行う。午前9時頃、全く小春日和、集会者約50名にて、作業が大いに捗る。
昭和31 4 2 入学式、始業式を行う。
昭和31 4 29 天皇誕生日を祝して、三股地区の開拓者の合同結婚式が本校で盛大に行われた。
この催しは、新生活運動の一環として取り上げられ、各社放送陣、NHKの録音により全国的なものとなった。
ニュース・映画にもなる。
昭和31 9 12 西部別海村陸上記録会において、本校は第2位を占める。
昭和31 10 13 昭和31年度第7班研究集会を本校にて行う。
昭和31 12 9 冷害救援物資の配分を行う。本年は有稀の冷害凶作のため、各方面より救援物資が贈られ、これらの配分は、その都度PTAにて協議して配分を行う。
12月末より3月上旬まで数回に及ぶ反面「ユニセフ」より粉乳を寄進され、第3学期当初より、次年度の第1学期末まで給食することになった。
昭和32 2 12 NHK釧路放送局より、本校がへき地放送受信校に指定され、ラジオ受信機が贈呈された。
昭和32 3 1 釧路電話局の電話工事が着工され、3月15日竣工の予定である。これにより、当地区の利便は著しくなることが予想される。
昭和32 4 1 入学式を行う。同日正式に本校に電話が開通する。番号は、西春別9番である。
昭和32 6 2 今日より向う1週間農繁休業とする。
昭和32 7 11 富士航空会社により、本校を空中撮影する。
昭和32 8 31 大沼文吉氏より、身長計1台奇贈受ける。
昭和32 11 8 拓進婦人会より、柱時計1台寄贈受ける。
昭和32 12 11 別海村教育委員による本年度学校視察が行われた。
昭和33 3 22 卒業式を行う。新入生の入学記念撮影も引き続き繰上げて行う。
昭和33 4 1 入学式を行う。隣接校として、別海村立三股小学校の開校に伴い、通学区域変更して、本校より12名が三股小学校に転籍する。
昭和33 4 1 下山先生は、4月1日付をもって、別海村立朝日小学校に転勤となる。武田先生は、4月1日をもって当校勤務を命ぜられる。
昭和33 4 6 下山・武田両先生の歓送迎会を行う。下山先生より本校に、転勤に際してメトロノーム1台の寄贈あり。
昭和33 5 29 自衛隊の自動車にて、懸案のコンクリート門柱を建てる。
昭和33 6 25 村内音楽コンクールに出場のため、西春別校にて録音する。根室事務局長賞受賞する。
昭和33 7 5 第1回へき地音楽コンクール(全道)に出場のため、西別にて録音する。根室事務局長賞受賞する。
昭和33 10 30 自衛隊が、校庭地ならし作業を行う。
昭和34 5 6 乾先生、計根別小学校へ転出
昭和34 5 13 加藤校長、加藤先生着任
昭和34 5 16 新居校長、上標津小学校へ転出
昭和34 9 14 自衛隊による学校橋架橋
昭和34 10 31 学校住宅新築完了、12坪
昭和35 6 17 自衛隊による学校グランド拡大工事
昭和35 6 19 ブランコ・鉄棒新設(青年会の奉仕による)
昭和35 11 2 学校植林3000本2日間で完了
昭和36 4 2 池先生着任
昭和36 4 4 武田先生、十勝屈足南小学校へ転出
昭和39 3 16 細川校長着任
昭和39 8 3 6年生、根室青年会議所からの招待により2泊3日の予定で根室へ出発する。
昭和39 9 7 別海村第7班陸上記録会に、4・5・6年生選手参加奮斗むなしく全員完敗する。
昭和39 10 15 学校教育用テレビ施設する(PTAの植林事業費より寄付受ける)
昭和39 10 13 学校飲料水用ポンプ校舎内に施設する。
昭和40 2 15 別海村開村以来の大冷害とのことで、欠食児童1日平均12・3名にのぼり、
クラッカーとミルクによる簡易給食始まる。(期間1・2・3月)引き続いて(4・5・6・7・8・9月)
昭和41 3 31 休職中であった加藤校長、4月1日付をもって復職。根室市槍昔小学校長へ発令。
加藤高子先生、4月1日付をもって、槍昔小学校へ発令。池正忠先生、4月1日付をもって、計根別小学校へ発令。
玉田健先生、3月31日付をもって、退職。
昭和41 4 2 入学式拳行(4月1日、一昨日の大雪のため、道路の除雪ならず、新入生登校できず、2年生以上の始業式のみ行う)
昭和41 4 7 坪谷先生・板垣先生着任する
昭和41 5 24 高度へき地級パン・ミルクの学校給食始まる。
昭和41 7 7 第16回拓進小学校部落連合大運動会拳行する。連日雨、霧雨低温と、このところ悪天候続きであったが、
この日ばかりは全く雲一つない快晴。また、温度もぐんと上昇、すばらしい運動会であった。
昭和41 7 27 第6学年児童修学旅行のため釧路へ出発(1泊2日)
昭和41 7 28 第6学年児童修学旅行に引き続き根室。児童交歓会へ出発。(へき地と都市、民宿)そして、本校児童器楽演奏を行う。
昭和41 9 7 別海村第7学校班研究会を本校にて開催。参加者57名。盛大に拳行、大好評をいただく。
昭和41 9 19 別海村第7学校班小学校陸上競技記録会(上春別小学校会場)に参加、3名入賞する。
昭和41 10 2 別海村拓進開拓20周年記念式典、祝賀会、記念演芸会を行う。
昭和42 3 31 坪谷コハル先生依願退職する。
昭和42 4 1 山内先生着任する
昭和42 5 13 体育施設の修理新設。バックネット新設。
昭和42 7 21 都市とへき地の児童交歓会に招待され、6年児童出発。23日無事帰校する。
昭和42 9 2 別海村第7学校班小体連を拳行(上春別小)入賞者4名を出す。
昭和42 9 6 別海村小学校陸上競技記録会(西別会場)に第6学年瀬谷幸子出場する。
昭和42 9 30 自転車小屋作成
昭和42 10 2 電気ポンプによる水道工事完成
昭和42 10 8 根室管内音楽コンクールに(中標津会場)3名参加し、佐藤国仁・瀬谷正子の両名入賞する。
昭和43 4 1 板垣先生、羅臼町立知円別小学校へ転出する。砂金先生着任する。
昭和43 5 23 冷害見舞金にて体育施設ジャングルジムをつける。
昭和43 7 20 都市とへき地の児童交歓会に6年生出発。22日無事帰校する。
昭和43 7 23 別海村小体連に参加。裏地拓三、瀬谷正子、板垣純一の3名入賞する。
昭和43 9 22 バス見学旅行を初めて行う。全児童大喜びする。 (西別~尾岱沼~標津~中標津)
昭和44 3 31 細川校長当幌小学校へ転出する。
昭和44 4 2 佐藤校長着任する
高橋先生着任する
昭和47 9 8 拓進小学校が西春別小学校と統合の件にて、役場より助役並びに教育長来校する。
昭和48 2 23 学校統合の件にてPTA、部落合同役員会を開催。
昭和48 3 1 学校統合の件にてPTA臨時総会
昭和48 3 20 卒業式並びに修業式拳行
拓進小学校西春別小学校と統合に依る廃校式
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